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3.5%*の夜明け|四角大輔 連載#03「うけつぐもの」

母がニュージーランドの我が家に1ヶ月ほど滞在した。

思えば、1ヶ月間も同じ家で一緒に暮らすなんて、高校を卒業して以来かもしれない。高校3年での1年間のアメリカ留学から戻って半年ほど大阪の実家にいたが、その後は首都圏の大学に通い、卒業してレコード会社で働き、退社してこちらに移住して今日に至るのだから。

その間、家系図のこと、祖父母や祖々父母の性格や仕事のことなど、多くの新事実を知った。母との会話を振り返るたび、自分の思考・行動パターンの本質が解き明かされていくようでおもしろい。

母はまた、人生で大切にしてきた哲学や信念を語ってくれた。「自分の生き方のルーツの大半は母にあるんだ」と改めて確認でき、思い出しながら何度もうなずいてしまう。
なかでも、母の「ペイフォワード=恩送り」についての体験談が印象的だった。今では、ソーシャルな活動をする人の間で共通言語となっているが、終戦直後に生まれ、主婦業に半世紀以上も従事してきた母のリアルな「ペイフォワードな話」をいくつか紹介したい。
 
ちなみに、「ペイフォワード=恩送り」と「恩返し」の違いは、ご存じだろうか。ぼくがいつもソーシャルグッドの最新情報を得ている「IDEAS FOR GOOD」にはこう書かれている。

「恩返しは、誰かから優しさや助けを受けた時、相手に対してお返しをする一対一の関係だ。一方でペイフォワード(恩送り)は、他の人に優しさや助けを送る行為だ。そのため、善意の行為が、地理や時間軸を越えて無限に広がっていく可能性がある。社会全体をより善くする可能性があるのだ。」

IDEAS FOR GOODより引用

最初のエピソードは母と、中国からの留学生(当時)Sさんとの出会いだ。それは、1995年1月に起きた阪神・淡路大震災に遡る。

当時のぼくは埼玉在住の大学生。居ても立っても居られず、震災後に関西エリアで不足していた物資を関東で買い集め、80Lの巨大バックパックにぱんぱんに詰め込む。神戸は故郷の大阪から近く、何度も訪れた特別な思いがある街で、大切な友が暮らしている。知人はみな怪我もなく無事だったが、誰もが物資の不足に苦しんでいた。

いったん大阪の実家に立ち寄り、家から神戸大学に通っていた弟とふたりで準備を整えて家を出ようとしたとき、母がこんなことを言った。

「現地ではたくさんの人が困っているけど、最もたいへんな思いをされているのは、身寄りがなくて行き場のない外国人の留学生だと思うんよ。何人でもいいので家に連れて帰ってきなさい」
 

弟は神戸大学へ、ぼくは三世代で暮らす親友宅に支援物資を届けに向かう。
地震で線路が壊れ、電車ではある地点までしか入れない。ぼくは他の乗客と一緒に、ずっしり重いバックパックを背負って線路の上を歩き続ける。見慣れた街並みが破壊され、驚愕と恐怖で全身が震える。

線路から道に降りて住宅街を進むと、道路一本はさんで、ほぼ無傷の家と半壊している家があることに気づく。地盤の違いや小さな活断層がその命運を分けたとされるが、不可抗力な「なにか」によって翻弄されるぼくらの人生を象徴しているようだ。

「やっぱり、大自然や運命に逆らうことはできないのか」と絶望しそうになる。でも同時に、「人は、まったくの無力ではない」という気持ちも湧いてくる。それはただの「祈り」ではなく、「あきらめない心」という人間だけに与えられた特権だ。

Photo by のりえもん

友との久々の再会と、彼の充血した目と疲れ切った表情に泣きそうになり、強く抱き合う。電話では「大丈夫」と言っていたが、まったく大丈夫そうじゃない。夜は靴を履いたまま眠り、その眠りも浅く、24時間常に余震の恐怖に緊張しているという。

そこを出て遠方の親戚宅に移る案もあったが、建物の損壊はないし、故郷を離れたくないという思いから、もうしばらくそこで暮らすことにしたという。家族で支え合うその姿に、人間の強さを見た。人を強くする「絆」もまた、人類に与えられた特権だと確信する。
 

家に帰ると、神戸大学の留学生寮で弟が声をかけたSさんがいた。
故郷から遠く離れ、留学中に被災。顔を洗う水も、調理の水もなく、たまたまあった炭酸飲料でご飯を炊いてしのいだという。そのせいか、吹き出物で顔が真っ赤に腫れていた。目は落ちくぼみ、憔悴(しょうすい)しきっている。

最初は、7人ほどの留学生がうちに来る予定だったが、それぞれに知人や身元受取人がいて、他の人たちは行き先が見つかった。Sさんだけが、身寄りがなく我が家に来たのだ。

それからしばらく、母とSさんとの共同生活が始まった。ぼくと弟は毎日、実家から神戸に向かい、支援物資が届かない小さな避難所を回るボランティアに就いた。

そして何と、あれから30年近く経った今でも、Sさんと母のご縁は続いている。母は数年後に中国へ招待され、Sさん一族総出での大規模な歓迎会で感激の涙を流す。

母が重病を患ったときには、「今すぐに行きます」と、中国でしか採れない素材で作られた特殊な漢方薬や、高価な中国産の生ロイヤルゼリーを手に駆けつけてくれた。その後も、母の体調を心配するSさんから定期的に、そういったものが届けられ続けたのだ(そして今も)。

Photo by Yuri Arcurs Peopleimages

呼吸するように人助けをする母のオープンな性格からか、相談ごとを持って家に来る人が絶えなかった。グレて道を外れてしまったぼくの友が、自分のいない間にひとりで来てご飯を食べていたり、家庭の都合で中卒で働きはじめたぼくの友人の仕事をサポートしたり——大小さまざまなエピソードがあるが、もうひとつの忘れられないエピソードがある。
 
母がボランティアで、子どもの施設で働いていたある日、仕事を終えて上の子を引き取りにきた若いママのおかしな様子に気づく。
声をかけてみると、彼女自身の体調が悪い上に、背負っている下の子(赤ちゃん)も熱があるという。そして、シングルママで身寄りがないというのだ。

母は、そのまま親子3人をうちに連れて帰る。そこからしばらく、その家族と一緒に暮らすようになり、少しずつ母に心を開いた彼女の口から出たのは、元夫からの暴力と生活に困窮している厳しい実情だった。

「こんなにしていただいて、申し訳ないです。いつか必ず恩返しします」という彼女に、母はこう伝えた。

「いつか気持ちや生活に余裕ができたときに、身近に困っている人がいたら手を差し伸べてあげてね。それが恩送りとなって、どんどん人に手渡されていくから」と。
 
この「恩送り」の話は、母も過去にある恩人から言われた言葉だった。「自分への恩返しはいらないから、誰かに恩を送ってね」と。そうやって太古の昔から、「人の恩=愛」という尊く強力なフリーエネルギーは枯れることのなく、人類の間を巡ってきたのである。

約200年前の産業革命からはじまった「GIVE&TAKE」の資本主義は、文明の発展に大きく寄与したが、その土台には、「金銭的な報酬を前提としない助け合い=GIVE&GIVE」、つまり「ペイフォワード=恩送り」が常に存在してきたことを忘れてはいけない。
我が子、恋人、家族や仲間のために動き、階段でつまずく人にとっさに手をだすように、「見返り」なんて考えず誰もが本能で行動してきたのだから。
 
愛する人を大切にしたり、目の前で困っている人に手を差し伸べたりする先に、社会や地球がある。人生一度しかないのであれば、誰かになにかをしてもらう「TAKE」ばかりの人生よりも、誰かの役に立つ「GIVE=ペイフォワード」の人生を選びたいと思う。

それは「きれいごと」でも、意識高い系の思想でもない。
その行いの結果として、自分自身が「人類の本流」ともいえる「恩送りの循環」に乗ることができ、より豊かな人生に直結するからだ。つまり、結果としてそれは「自分のため」になるということ。

ぼくが主宰するコミュニティ〈LifestyleDesign.Camp〉で掲げているテーマは、「マイグッドからはじまるソーシャルグッド」——これもまさに「ペイフォワード」な循環のため。

人は、自分をないがしろにしても幸せになれないし、他者に求めてばかりでも幸せになれない。なにより、そういった生き方は、先祖代々”うけつがれてきた”美しくパワフルな循環の輪を、断ち切ってしまうことになるのだから。


四角大輔|Daisuke YOSUMI
執筆家/森の生活者 /Greenpeace Japan & 環境省アンバサダー

レコード会社プロデューサー時代に、10回のミリオンヒットを記録した後、ニュージーランドに移住。
湖畔の森でサステナブルな自給自足ライフを営み、場所・時間・お金に縛られず、組織や制度に依存しない働き方を構築。
第一子誕生を受けて、ミニマル仕事術をさらに極め――週3日・午前中だけ働く――育児のための超時短ワークスタイルを実践中。

ポスト資本主義的な人生をデザインする学校〈LifestyleDesign.Camp〉主宰。
著書に、『超ミニマル主義』『人生やらなくていいリスト』『自由であり続けるために 20代で捨てるべき50のこと』『バックパッキング登山入門』など。

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